以前のぶろぐで「障害」について述べたことがありました。
障害のある方が生活するのに不自由になっているのは、その方のせいではなく、社会がバリアフリーではなく何らかの「バリア」、「障壁」があるからではないか。たとえば、電灯を消され、真っ暗な部屋のなかで動けなくなったら、「灯りをつけてください」と言う。その「灯り」が、目の不自由な方が安心して動けるような設備を設けることと違いはないはずではないか。「障害」は社会にある。という内容です。

たとえば,身体上の機能について何らかの不自由なところがある方が,そのことを述べることは,そのバリア(社会の障害)を取り除いてもらうために当然必要なことであって,いわゆる「言い訳」では決してないと思います。でも,なかなか,そのようなことを言葉に出して言いづらい雰囲気がいまの社会にはあるのではないかと思いますし,それ自体がバリアなのかなとも思います。

つらいこと,苦しいことがあり,それを訴えること,それは「言い訳」ではありません。もし,世の中が,それを「言い訳」と言っていたとしても,大いにその「言い訳」を言ってもいいのではないかと思います。その支援も弁護士という立場の役目だと思っています。それこそがバリアフリーではないかと思っています。

当職も一員である障害のある方の支援をする弁護士グループがあります。その仲間の弁護士が主張したこともあって,あるバス会社では時刻表にノンステップのバスかどうかが明示されるようにななりました。また,ある駅では5回もエレベーターを乗り継がなければならない車いすやベビーカーを利用する人が不便だったので裁判を起こしました。これがきっかけとなって,裁判を待たずに,エレベータが増設されることになったとのことです。

一人であきらめないで,まずは,弁護士に相談してみるのも,一つの方法だと思います。